2026.07.22
めんどくさいが、仕事になる
タイムラインで、こんな問いを見かけた。
「あなたの仕事で、AIに代替されないものは何ですか?」
広告運用者に向けた問いだ。ターゲティングも入札も予算配分も、もう媒体のAIがかなりの精度でこなしてくれる。人間に残された差別化の領域はクリエイティブ、それも上流の戦略設計だけ。だから「なぜこのクリエイティブが効くのかを説明できる人」が生き残る、という話だった。
主張そのものに、異論はない。クリエイティブの寄与度が上がっているのは体感とも合うし、戦略設計が抜け落ちたまま制作だけが回っている現場が多いのも、その通りだと思う。
ただ、読み終えて少し経ってから、問いの立て方のほうに引っかかった。
「AIに代替されないものは何か」という問いは、仕事が能力の優劣で成立している、という前提に立っている。本当にそうだろうか。
この議論、初めてじゃない
思い返してみると、この手の「広告運用者不要論」は定期的にやってくる。
コンバージョンオプティマイザーが出たとき。スマート自動入札が広まり始めたとき。P-MAXが登場したとき。そのたびに「運用者の仕事はなくなる」と言われて、そのたびに仕事は残った。それどころか、運用型広告の市場も、運用に携わる人の数も、この10年でむしろ増えている。
能力の代替は、たしかに進んだ。入札を人間が刻んでいた時代には戻れないし、戻る必要もない。それでも仕事が残ったのなら、仕事を支えていたのは能力ではない何かだ、と考えるほうが自然だと思う。
任せたいのは、作業ではない
その何かは、めんどくささだと思っている。
広告運用は、めんどくさい。お金を投じる行為だから、商品を理解しないといけないし、いま出ている広告の内容を把握していないといけない。管理画面は年に何度も変わるし、媒体の仕様変更は容赦なくやってくる。競合が動けば数字が動き、季節が変われば前提が変わる。
AIはこのうち「作業」の部分を、ずいぶん減らしてくれた。入札を調整する作業、レポートを組む作業、広告文の叩きを作る作業。でも、関心を持ち続けること、責任を引き受けること、変化に追随し続けること。このあたりのめんどくささは、道具がどれだけ進化しても、発注する側の手元に残る。お金が減っていく仕組みを、見張らずに放置できる経営者はいない。
自動化や機械学習は、10年前からすでにあった。それでも「誰かに任せたい」という需要が減っていないのは、任せたいものの正体が作業ではなく、このめんどくささだからだ。
洗濯機は普及したのに
話は少し逸れるけれど、全自動洗濯機が家庭に普及してから、もう半世紀以上になる。洗濯という作業は、ボタン一つになった。では家事のめんどくささは消えたかというと、家事代行の市場は、いまも伸び続けている。
洗う手間は消えても、干す、畳む、しまうは残った。ドラム式が乾燥までやってくれるようになると、今度は「どの機種がいいのか」「フィルターの掃除はいつやるのか」という新しいめんどくささが生まれた。技術は作業を減らすけれど、めんどくささは形を変えて残る。むしろ選択肢が増えるほど、選ぶというめんどくささが積み上がっていく。
広告も同じで、P-MAXは設定を簡単にした代わりに、「ブラックボックスをどう評価するか」という新しいめんどくささを連れてきた。AIがクリエイティブを量産できるようになれば、次は「量産されたものをどう選び、どう検証するか」がめんどくさくなる。個別の作業は軽くなり続けているのに、総量はたぶん、あまり減っていない。
経営者の側から見ると
この構図は、発注する側に立つともっとはっきりする。
経営者や組織には、広告よりめんどくさいことが山ほどある。採用、資金繰り、組織の揉め事、事業そのものの舵取り。広告は、数あるめんどくさいことの一つでしかない。「AIを使えば自分でもできますよ」と言われて、「じゃあやろう」となる経営者は少ない。できるかどうかではなく、やりたくないのだ。
代行や専門性にお金が払われるとき、買われているのは能力そのものというより、関心の外部化だと思う。「これについては、もう考えなくていい」という状態を買っている。ここは、AIに代替されるかどうかという話とは、レイヤーが違う。広告運用に限らず、税理士も、社労士も、たぶん同じ構造の上に立っている。
椅子が置かれている理由
だから、冒頭の問いに戻る。
「AIに代替されないものは何か」という問いは、AIとの能力の椅子取りゲームを前提にしている。その土俵で戦うなら、たしかに分は悪くなっていく一方だ。人間が計算でAIに勝てる日は、もう来ない。
でも、椅子がそこに置かれている理由は、そもそも能力ではない。誰かの「めんどくさい」を引き受ける席として、置かれている。
クリエイティブの戦略設計が大事、という元の主張は正しい。ただそれは「AIより優れているから生き残る」のではなくて、「なぜ効くのかを説明してくれる人がいると、自分で考えるめんどくささから解放されるから」選ばれるのだと思う。同じ行為でも、需要の側から見ると、意味がまるで変わってくる。
めんどくさいでできている
経済活動には、もっといえば生きるための人間の活動には、めんどくさいが付き物だ。食べるのも、住むのも、育てるのも、全部めんどくさい。そのめんどくささを互いに引き受け合って、対価を渡し合うことで、経済は回っている。
仕事の寿命を決めるのは、AIとの能力比較ではなく、誰の、どんなめんどくささを引き受けているか。
そう考えると、「AIに代替されないものは何ですか」への答えは、案外シンプルになる。
めんどくさいと思われ続けている限り、この仕事はなくならない。